なぜ!?パラオが親日国の理由

パラオ共和国という国をご存じでしょうか?通称パラオと呼ばれるこの国の事をあまりご存じない日本人も多いのが現実だと思われます。

パラオは日本から約3600キロ南の太平洋上に位置するミクロネシア地域の島々からなる国で、地図上ではフィリピンの右の方にあります。

実は、パラオという国は戦前、日本が統治していた時代もある国で、同様に日本が統治した事のある韓国や北朝鮮とは逆に大変な親日国なのです。

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パラオの親日国ぶりとは!?

天皇皇后両陛下は現在パラオを訪問されておりますが、パラオの中心部であるコロールでは、大通りで日本国旗の飾り付けが行われる等、パラオ国民は天皇皇后両陛下をとても歓迎している事が分かります。

更に、ペリリュー州のシュルム知事は、慰霊が行われる4月9日を『天皇皇后両陛下ご訪問の日』として、今後も州の祝日とする事を法律で決定しています。

また、日本語がそのままパラオ語として定着し、日常会話で飛び交っている事も親日国である証明と思われます。日本語が定着したパラオ語としては、『ダイジョウブ(大丈夫)』、『オカネ(お金)』、『コイビト(恋人)』、『エモンカケ(ハンガー)』、『ベントー(弁当)』等があります。

また、日本の名前を使っている人も多数いて、『サトウサン』、『アサクラサン』というように敬称の『さん』まで名字に取り込まれている人も居るのは非常に興味深い所です。

文字よりも動画で見るのが一番ですね。という事でパラオが如何に親日国であるか、動画をご覧下さい。

なぜパラオは親日国なのか?

日本人はパラオという国の存在すら知らない人が多いにも関わらず、パラオでは日本をこんなに歓迎してくれています。なぜ、パラオという国はここまでの親日国なのでしょうか?

親日国であるには親日国である理由が必ず存在します。パラオが親日国である理由を調査してみましたが、その理由を探しあてるのにそれ程の時間は要しませんでした。

パラオは、欧米による植民地時代も経験しています。スペイン、ドイツ、そして、戦後はアメリカによる統治も行われた事があります。

スペインやドイツによるパラオ人の扱いは奴隷でした。スペイン統治時代は、パラオの人口は90%程度も減少したと言われています。

また、ドイツによる統治時代はパラオ人を使ってココナッツやタピオカ等の栽培で産業振興を行うも、教育を与えず、道路や水道等のインフラ整備もせず、ただひたすらに搾取と略奪の酷い植民地政策だったそうです。

それに対して、日本はパラオに学校や病院、道路を造り、電力を供給し、パラオの中心部であるコロールは近代的な町並みへと変貌を遂げます。パラオの発展は日本統治時代の賜物だったのです。

また、第二次世界大戦では、日本軍はパラオの民間人を疎開させる等して死者を一人も出していないそうです。

日本軍と仲良くなったペリリュー島の島民達は日本兵と一緒に戦う事を願い出たそうです。しかし、日本の守備隊長は以下のように言って追い返したと言います。

『帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!』

ペリリュー島民は裏切られた想いで悔やし涙を流したと言います。ペリリュー島民は船に乗って島を去る事になりますが、日本兵は誰1人として見送りに来なかったそうです。

しかし、船が島を離れた瞬間に日本兵全員が浜に走り出て、共に歌った日本の歌を歌いながら手を振って島民を送り出してくれたのだそうです。先頭には隊長の姿があったそうです。

ペリリュー島の戦いで、日本軍は3日で負けるとされていた戦いを72日間耐え抜き、最後は玉砕しています。

パラオが独立した1981年、ペリリュー島民によって日本軍人ペリリュー島守備隊を讃える歌が作られています。パラオの人達が如何に日本を愛しているか、歌詞から窺い知る事ができます。

ペ島の桜を讃える歌

激しく弾雨(たま)が降り注ぎ
オレンジ浜を血で染めた
強兵(つわものたち)はみな散って
ペ島(ペじま)は総て墓地(はか)となる

小さな異国のこの島を
死んでも守ると誓いつつ
山なす敵を迎え撃ち
弾射ち尽くし食糧(しょく)もない

将兵(ヘいし)は”桜”を叫ぴつつ
これが最期の伝えごと
父母よ祖国よ妻や子よ
別れの”桜”に意味深し

日本の”桜”は春いちど
見事に咲いて明日は散る
ペ島(ペじま)の”桜”は散り散りに
玉砕(ち)れども勲功(いさお)は永久(とこしえ)に

今 守備勇士(もののふ)の姿なく
残りし洞窟(じんち)の夢の跡
古いペ島(ペじま)の習慣で
我等勇士の霊魂(たま)守る

平和と自由の尊さを
身を鴻(こう)にしてこの島に
教えて散りし”桜花”
今では平和が甦る

どうぞ再びペリリューヘ
時なし桜花(さくら)の花びらは
椰子の木陰で待ちわびし
あつい涙がこみあげる

戦友遺族の皆さまに
永遠(いついつ)までもかわりなく
必ず我等は待ち望む
桜とともに皆さまを

作詩者はペリリュー島の小学校副校長、ウィンティ氏と言われています。この歌は戦前の日本教育を受けたペリリュー島民が、日本語を使って作った歌なのです。

日本人の皆さん、日本人である事に誇りを持って下さい!

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